100年ふくしま。コラム

いま、ここ、仏教界隈。 大童法慧

仏教の教えといま、ここでのお話

2021/12/17
011 生活を切り詰めてでも 

「唐突で申し訳ないですが、母の葬儀をしていただけませんか。先程、菩提寺の住職さんに枕教をお勤めいただいたのですが・・・許せなくて・・・」と、電話があった。
怒りを押し殺して話そうとする彼の誠実な姿に、耳を傾けた。

一、昨晩、お母様が亡くなったこと
一、今朝、菩提寺の住職様と通夜葬儀の日程を定め、午後に枕経を勤めていただき、戒名の説明があったこと
一、その席で、住職様曰く、「あなたの父親の戒名は院号だから、母親もそのようにしなさい」と布施の額を告げられたこと
一、「あまりに高額だから、院号は要りません」と申し出たら、「生活を切り詰めてでも支払うものだ」と命じられたこと
一、結果、金額に拘泥する住職様の姿に呆れ、菩提寺に離檀を申し出たこと

お母様との別れに心を尽くして臨もうとしている彼には、とても辛い時間だっただろう。弔いや供養の話ではなく、お金の話だけでは母親の人生や遺族の想いまで汚されたような気がしただろう。
彼もできることならば、両親の戒名を揃えたいと思っただろう。しかし、人には、そうしたくてもできない困難な時期もある。
亡くなった者は、生きている者の幸せを願っている。

作 者
大童法慧


TOP

© 2020 100年ふくしま。コラム